第2章 3.(2)法科大学院制度

2022年08月29日  2022年10月20日

第2章 わが国の最近の立法における立ち位置

3.最近の我が国における立法の現状

 

(2)法科大学院制度

これも米国流の制度の〝借用〟です。「日本における従来の司法試験が勉強一筋で、〝皆、顔が同じ〟で個性的でなく、いろんな人材を輩出できていない、従って、新しい法曹を幅広い分野から発掘し、多様な人材を得ましょう」ということでスタートしたものでした。

 

「大学時代に学部が法学部だと二年の既習者コース、法学部以外だと未習者コースといって三年の研修を受けた後に司法試験を受ける、しかも、受験回数制限を設ける」、というものです。

また、それとともに、合格者数を増やし、法曹を国民の身近なものにしましょうと政府は目論んだのです。即ち、制度発足当時は年間二五〇〇人の合格者数を目指す、というものでした。

しかし、合格者数を増やしさえすれば法曹が国民に身近なものになる、という考え自体が実は〝浅はかな幻想〟でした。

因みにその「多様な人材」という言葉はまさに〝耳障りの良い〟ものでしたが、それはそもそも幻想でしょう。敢えて申せば、現代は「皆、没個性時代」ではないかという感じです。何が〝個性〟ですか。個性は〝結果〟であり、第三者である官僚が発見できるものではいでしょう。

 

いずれにしろ法科大学院制度施行の結果、国内には弁護士は溢れ返り、飽和状態となったと言っても過言ではありません。

ですから、〝多様な人材〟を求めたければ、合格者数は従来どおり維持して(旧司法試験時代は年間五〇〇人前後の合格者数)、試験制度を改善工夫して門戸を広げれば良かっただけではないか、と思います。簡単に言えば、受験科目・試験方法を変える、とかですね

 

尤も、最近では法科大学院に入学する者の数も、司法試験の合格者数も、はたまた、大学院の数自体も減少傾向にある訳ですが、結局、これらの現象を前提とする限り、この制度は〝大失敗〟だったということですね。

しかし、誰もこれについて責任を取らない。

その結果、現在、司法試験合格者数を「一五〇〇人を目途に減らす」と当局は言っています。

どういう〝駆け引き〟で「一五〇〇」が出たんでしょうか。

 

また、最近では、弁護士資格を返上する人が全国で毎月二〇人くらい出ているようです。

その他に高齢を理由とする方々もいらっしゃるようですけど、登録年数が若い人でも資格返上する人が二〇人前後もいるということです。

これは、恐らくそれに見合う程の収入が得られていないにも拘わらず、弁護士会の〝年会費の高さ〟が理不尽だということが背景にあるのではないかと思われます。

 

日弁連が司法試験合格者数を増やすことに加担していながら、言い換えると自ら弁護士数を増やしていながら、年会費を相当な額まで減額しないんですから、それはおかしいんじゃないですか? かなり、弁護士会の運営経費だってアナログからデジタル化されて節減されている筈ですよ。

 

そろそろ、弁護士会の強制加入制度は廃止して任意加入制にしなければならない時期です。

現に我々は弁護士会から会費に見合う何らの恩恵も受けていない、というのが実感ですし、強制加入制度が廃止されるべきは当然です。

それのみならず、弁護士が増え過ぎると、他業界と同様、ご多分に漏れず、いわゆる「グレシャムの法則」により、〝悪貨〟により〝良貨〟が駆逐されます。「安売り競争」になる訳ですから当然ですね。

どの業界だってそうです。仕事を取る為には安請負いをせざるを得なくなり、そうしたら、例えば、建設業界では、コストカットを図って〝手抜き工事〟がなされる訳です。

これと同じです。〝手抜き工事〟は〝負の遺産〟で、後で高いツケが回ってきます。

 

ところで、米国では「アンビュランス・チェイサー」(仕事に溢(あぶ)れた弁護士が交通事故の損害賠償訴訟を受任しようとして、救急車の後を追って回る、ということ)という言葉が流行っている、と日本国内で聞かれて久しいのですが、そういうことをオカミも聞き知っていながら〝何者か(悪魔)の囁き〟に従って、右のような米国流の法曹養成機関を作ってしまった訳です。

この法科大学院制度創設についても〝新制度〟を採用する際に必要な〝利益衡量〟が全くなされていなかった証拠です。

「安かろう、悪かろう」は現代でも通用する〝世の正論〟なのでしょうね。

情けない!

 

ここでも、安易に「仕事として何かやりたい、そうすればこれで世の中が良くなるだろう!」と中坊(元日弁連会長)さんなりオカミが安易に考えた結果です。否、むしろ、世の中を良くしようとは全く考えていなかったのでしょう。

一般論ですが、〝老人〟は〝未来〟を見る目に曇りがあるのではないか?

真剣な因子分析をすれば現在の状況出現は想像に難くはなかったでしょうし、そうすれば馬鹿な〝イジクリ〟はしなかったんじゃないかと思います。

ですから、〝失政〟を国民に対して〝陳謝〟したくなければ、最初からいい加減な法律・制度を作りなさんな!制度を変えるなら覚悟を決めておやりなさい!

 

余計なことかもしれませんが、私個人としてはロースクール制度の創設は司法試験予備校の隆盛により、大学の法学部教授たちの存在意義が希薄になり、従って、彼らの〝復権〟をサポートする為だけの制度だったのではないか、とすら勘ぐってしまいます。

結果的にその創設により、どのような〝社会的貢献〟があったのでしょうか。

どんなに〝贔屓目〟に見てもそれに思い当りません。現場に身を置く私自身、全くその〝利点〟が判りません。

 

・・・つづく