第2章 3.(1)裁判員制度

2022年08月19日  2022年10月20日

第2章 わが国の最近の立法における立ち位置

3.最近の我が国における立法の現状

では、以下に、最近の我が国の立法の実際なり傾向を見てみましょう。

 

(1)裁判員制度

これに似た制度として、戦後間もないころ、確か四~五年くらいの間、〝陪審員制度〟というものが採用・施行されていた時期がありました。

これは、おそらく、日本の裁判に国民を参加させて裁判の民主化を図ろうとしたのでしょう。

そもそも、陪審制度というのは、英国の「マグナ・カルタ」(大憲章)に由来するものだそうです。

即ち、これは被支配者層が専制君主から国権の一部である裁判権を奪い、司法の民主化を図ろうとしたもののようです。

これも恐らく米国による日本の欧米化政策の一環でしょう。

しかし、結果的にこれは日本の風土に合わないということで廃止されたという経緯があります。

日本では〝大岡越前の守(裁判官)〟に任せておけば良い、ということだったんでしょうかね。

〝民意、民意〟と騒ぎ過ぎるのは考えものです。特に〝民意〟の質が落ちていると思われる昨今では尚更ではないでしょうか。

それにも拘らず、それから六〇年経って〝我が国民も成長し、西欧の風土に馴染むようになった〟と判断されたのか、平成二一年、陪審員制度の〝亜種〟ともいうべき裁判員制度というのが、あえて国民の大半の反対を〝押し切って〟作られました。

一体何を考えているんでしょうか? オカミは税金の無駄遣いということには一切頓着しない人たちなんですね。

否、官僚にとってはむしろ、税金の無駄遣いこそが自分達の〝使命〟なんですかね。

その〝効用〟はもはやありませんから、大いに反省して税金の支出を節約して下さい。

前記のとおり、この制度は裁判に民意を反映させよう、そうすれば、日本の刑事裁判が民主化されて良い国になるだろうということで採用されたようですが、それ以前の刑事裁判に同制度を採用しなければならないような何かの不都合があったんでしょうか?

その為の実証データはあったんでしょうか?

目的としては〝冤罪の撲滅〟というのがあったのかも知れませんが、それは元々〝捜査側〟の話しでしょうし、〝裁判官〟の問題ではないのではないかな。

〝立法〟するのであれば捜査方法に関する法律とか刑事訴訟法の改正で足りる筈だし、裁判自体に国民を参加させる必要性は全く判らない。

大体、国民の誰が、あるいは、何割が同制度を望んだのですか? やはり、米国の猿真似をしたかっただけだとしか思えません。

しかも、終戦後の陪審制の焼き直しです。

因みに、裁判員制度の導入により、裁判官の皆さんは「却って職務上の負担が増えた」、と感想を述べておられた、ということを聞いたことがあります。

尤も、それは導入直後くらいの裁判官の〝感想〟でしたので今はどうか分かりませんが、職業裁判官とすれば今でもそのような制度はなくても良いと思われているんじゃないでしょうか。「モチはモチ屋!」。

もし、そうだとすると当時の裁判官の皆さんこそ、嫌なら事前に反抗すれば良かったのに導入に反対しなかった、というのは〝事なかれ主義〟だったと言われてもしょうがないんじゃないでしょうか?

憲法上明記されている〝裁判官の独立〟ということも実は「ない」に等しいのでしょう。

因みに我が国の裁判には〝合議制〟というのがあり、単独の裁判官が法廷を主宰するにふさわしい事件と、そうではない複数の裁判官で処理するのが望ましいという重大事件がありますが、これなどは意見表明自体は〝独立〟であっても結局多数意見には〝拘束される〟のですから、むしろ、他省庁に対する関係では「裁判官の独立」ではなく「裁判所の独立」と言った方がベターでしたね。

〝裁判官の独立〟ということの根底に「三権分立」ということがある以上、その方が理論的にはむしろ正しいと思います。

官僚のやることが全て悪いとは言いませんが、官僚の皆さんにはもっと〝合理的に〟働いて欲しいものです。

そうしたら、裁判員制度などという無駄な法律を作ろうなどとは思いつかなかった筈です。

ところで、この制度、一体いつまで続けられるんでしょうか?

これ以上、税金の無駄遣いは止めて欲しいものです。裁判員制度の導入により、どの程度の税金が使われるようになったか・・・。

 

(イ)裁判員制度を導入することによってかかった経費

それは次頁資料のとおりだそうです。

少なくとも、平成一七年から平成二八年の一二年間に累計六八三億三千万円(年平均約五七億円)が費やされています。

因みに、最近の年間の国家予算が約九七兆七〇〇〇万円ですから、累計額は国家予算の約〇.〇七%ですが〝意義のない支出〟としては決して少ない金額ではないですよね。

また、その費用の中には裁判員に対する「日当」という費用が当然のごとく含まれています。

〝裁判の民主化〟を図る制度の為であるのに〝裁判員を日当で釣る〟というのはいかにもそれが、そもそも国民が〝嫌がる〟制度である、ということが分かっていたということではないかと思います。穿ち過ぎでしょうか。

「胸張るべき制度」であれば交通費などの実費だけの支給で良かったのではないでしょうか(?) ま、しかし、仕事を休んでまで裁判員としての公務を果たす、というのであれば〝日当〟もあって良いですかね。

 

参考の為に申し上げるのですが、裁判員裁判の対象である〝重大事件〟においても裁判員が〝危害を加えられる恐れのある事件〟については、裁判官だけで審理される、とされています。何か〝ツギハギ立法〟のような気がしませんか(?) 「こういう手当てをしていれば全体としてこの制度が国民に受け入れられ易いだろう」と考えられたのではないか、という意味です。

 

(ロ)同制度採用による効用

→ 全く分かりません! 全くないんじゃないでしょうか。敢えて言えば、裁判員が裁判所に向かう交通費分、経済が活性化した、ということくらいでしょう。

 

ということは、やはり、同制度は殆ど意味のない悪法だったと言わざるを得ません。現に私の身の回りに同制度の〝利点〟ないし〝長所〟を得々と述べる人の存在を未だに見聞きしたことはありません。

かくなる上は、そろそろ同制度の廃止に向けての議論を国会議員の皆さんには始めて欲しいと思います。

「国会議員を減らせ」と言われるのが嫌なら、選民の皆さんには、せめて、裁判員制度に関する支出をなくす方向に努めて頂きたいところです。

 

因みに、平成二九年一年間で裁判員候補は三六%が無断欠席だったそうです。

また、近年欠席率は上昇傾向なのだそうです。不人気な訳ですね。

因みに裁判員法には正当な理由なく欠席すると「一〇万円以下」の過料が課せられうるのですが、裁判に民意を反映させる為の制度が裁判員欠席の場合の過料規定まで準備しているというのは不思議な感じですね。

一体、オカミは何を考えているんでしょうか!偏った理論で動いているのが官僚社会なのでしょう。

 

ところで、まだ、その過料が課された事例が一つもないということですが、それはせめてもの〝救い〟です。

 

※ ところが、右に反し、政府与党はこの度、参議院の定数を六名増員することを決議しました。〝目が点〟になりました!選挙の度毎に提起される議員定数の不均衡是正訴訟に対する対応策としては余りにもお粗末ですね

 

・・・つづく