第2章 6.敗戦の残滓

2022年12月07日  2022年12月07日

第2章 わが国の最近の立法における立ち位置

 

6.敗戦の残滓

 

ところで、そもそも、日本が米国流を採用することになった淵源は、「日本国憲法」という押し付け憲法にあります。

皆さん、「大日本帝国憲法(明治憲法)」を読んだことありますか?参考のために部分的ですが、次頁に紹介します。少し長いですが、我慢して読んで下さい。

(略) 大日本帝国憲法(明治憲法)

私は、司法試験受験中にそれに接しましたが、当時から「明治憲法のどこが悪いのか」よく判りませんでした。

ごくごくまともな憲法ではないか、と思っていました。

そこでも、「表現の自由」を含む基本的人権の類いはきちんと規定されていました(尤も、「検閲」は事実上行われていたようなので、現実の運用は良くなかったようですが、それはあくまで〝運用〟の問題です)。

 

これに対し、現在の日本国憲法では第九条に「戦争の放棄」というものを押し付けられました。

要するに、明治憲法と日本国憲法との実質的に大きな違いは、ただ「国家としての戦争行為」を容認するか否かの違いだけですね(明治憲法下では、第一一条で「天皇は陸海軍を統帥する」とある訳ですが、これは他の国々と同じく国家の交戦権は当然の前提だった訳ですね。それを天皇が統帥することの可否はさておくとして)。

しかし、そもそも「国家」というものが存立する以上、〝戦争〟は避けられないものだろうし、軍隊のない国家など絵空事でしかないと思います。

〝賢い〟動物と違い、〝愚かな人間〟の争いは〝足るを知る〟レベルで終わるものではないという気がします。

 

現に、日本国憲法の下でも〝軍隊であることが明らか〟な自衛隊の存在は解釈により合憲とされているのです。

即ち、一時の気まぐれで米国は日本に下らない〝腰抜け憲法〟を押し付けたのです。

要するに、世界の歴史そのものが「戦争の歴史」であったことに目をつむり、日本を米国の思うとおりに扱いたかっただけなのです。

 

しかも、ご存知のとおり、日本国憲法はそれを改正することが至極困難ないわゆる〝硬性憲法〟(改正の為には衆参両院で各々三分の二以上の賛成決議が必要であること、また、それから国民投票にかけて過半数の承認を得なければならない:憲法第九六条)となっています。

憲法九条のみならず、〝憲法改正〟という手続すら容易でない〝ガンジガラメ〟の憲法条項すらも米国から押し付けられたのです。

 

尤も「これらは米国の〝押し付け〟ではなく日本の政府が〝納得〟した上で定立したものだ」、という曲学阿世の知識人が今もいますが、それはおそらく「政治の何たるか」を判ってない人達でしょう。

「警察予備隊(一九五〇年八月~)↓ 保安隊(一九五二年一〇月~)↓ 自衛隊(一九五四年七月一日から現在)」という流れも、米国の指示で作られたんですから、正に日本は米国に翻弄されてきた〝戦後七〇年〟だと思います。

そうだとすると、「用なし」と判断されたとき日本はバッサリ米国から切られることが想定されるわけです。

そんなことに思いを馳せると、闇雲に米国流の法律を輸入することは悲しいことであり、かつ、〝滑稽〟ですらありますね。

 

日本国の指導者の皆さんにおかれましては、そろそろいかに日本国憲法が理不尽にも米国から押し付けられたものか、ということをしっかり認識した上で、「今後は、法律の定立をどうするか」ということを真剣に考えてみてはどうでしょうか。いや、そうでなければいけません!

 

・・・つづく